『ひまわり』(原題(イタリア語): I Girasoli )は、1970年のイタリア・フランス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国のドラマ映画。ヴィットリオ・デ・シーカ監督。出演はソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、リュドミラ・サベーリエワほか。
戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑が評判となった。数あるローレン主演の映画の中で最も日本で愛されている作品である。
ロケ地となったひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州にあるとされていたが、NHKの現地取材では、ポルタヴァ州村で行われたと特定されている。
本作の見どころは、なんと言っても延々と続くひまわり畑の映像と哀愁を秘めた切ないメロディー。
数多くの遺体の上に咲き誇る「ひまわり」
再び繰り返しているんですね。なんと愚かな・・・
このシーンは一生忘れられないでしょう。
音楽はヘンリー・マンシーニが担当、
『ティファニーで朝食を』(ムーン・リバー)『シャレード』『刑事コロンボ』『ピンク・パンサー』数多くの映画音楽を手がけた中でも最高の作品でした。
ネット上で本作を検索しましたが字幕版・吹替版が見つかりませんでした。
しかしながら原版のみでも十分楽しめます。
以下、ストーリーを読めば流れが理解できると思います。***もっちゃんより
ストーリー
第二次世界大戦終結後のイタリア。出征したきり行方不明の夫の消息を求め、関係省庁へ日参する女性の姿があった。戦時中、洋裁で生計を立てる陽気なナポリ娘ジョバンナとアフリカ戦線行きを控えた兵士アントニオは海岸で出会い、すぐに恋に落ちる。12日間の結婚休暇を目当てに結婚式を挙げた2人は、幸せな新婚の日々を過ごすが、休暇の12日間は瞬く間に過ぎてしまう。精神疾患による除隊を目論んだアントニオは首尾よく精神病院に入院するが、あえなく詐病が露見、懲罰のためソ連戦線へと送られることになる。見送るジョバンナに「毛皮がお土産だ」と笑顔を見せるアントニオら大勢の兵士を乗せた汽車は、ミラノ中央駅を出発する。
終戦後、ジョバンナは年老いたアントニオの母親を励ましながら、夫の帰りを何年も待ち続け、ようやく同じ部隊にいたという男を見つける。男の話によると、アントニオは敗走中、極寒の雪原で倒れたという。ジョバンナは愛するアントニオを探しに、ヨシフ・スターリン亡き後のソ連へ行くことを決意する。
当時のソ連は社会主義国家であり、ジョバンナが降り立ったモスクワは別世界だった。かつてイタリア軍が戦闘していたというウクライナの村でアントニオの写真を見せて回るジョバンナだったが、一向に消息が掴めない。ジョバンナの前に、地平線の彼方まで続くひまわり畑が広がる。多くの兵士たちがこのひまわりの下に眠っているという。無数の墓標が並ぶ丘まで案内した役人の男性はジョバンナに「諦めたほうが良いのでは」と言うが、彼女はきっぱりと「夫はここにいない」と言って拒絶する。かすかな情報を頼りにモスクワに戻ったジョバンナは、とある工場から出て来る労働者の中に、戦後も祖国へは戻らずにロシア人として生活しているイタリア人男性を見出す。しかし彼は多くを語らず、また、アントニオのことも知らないと言う。ジョバンナはもしやアントニオもと、微かな期待を抱く。
言葉も通じない異国で、なおも諦めずにアントニオを探し続けるジョバンナは、郊外の村で写真を見せた3人の中高年の女性たちから、身振りを交えてついて来るように言われ、一軒の慎ましい家に案内される。そこには、若妻風のロシア人女性マーシャと幼い女の子カチューシャが暮らしていた。言葉は通じずともジョバンナとマーシャは互いに事情を察する。マーシャはジョバンナを家に招き入れる。室内には枕が2つ置かれた夫婦のベッドがあった。マーシャは片言のイタリア語で、アントニオと出会った過去を話し始める。雪原で凍死しかけていた彼をマーシャが救ったのだが、その時アントニオは、自分の名さえ思い出せないほど記憶を無くしていたという。
やがて汽笛が聴こえ、マーシャはジョバンナを駅に連れて行く。汽車から次々と降り立つ労働者たちの中に、アントニオの姿があった。駆け寄ったマーシャをアントニオは抱き寄せようとするが、マーシャは彼をとどめてジョバンナの方を指さす。驚くアントニオが見たのはやつれ果てたジョバンナの姿だった。かつての夫と妻は距離をおいたまま、身じろぎもせず互いを見つめ合う。ジョバンナの表情が悲しみで歪み、アントニオが何か言おうと一歩踏み出した途端、ジョバンナは背を向け、既に動き出していた汽車に乗せてくれと叫び、飛び乗る。そして、座席に倒れ込むように座ると、見知らぬロシアの人々が奇異の目で見る中、声を上げてむせび泣く。
ミラノに帰ったジョバンナは、壁に飾ってあったアントニオの写真を外し、泣きながら踏みつけ、そして男たちと遊ぶ荒れた生活を始める。そんな中で訪ねてきたアントニオの母親は、ジョバンナの不実を咎めるが、ジョバンナはソ連で再会したアントニオのことを母親に対して「死んでいたほうがましだった」とぶちまける。
その後、アントニオとマーシャ夫婦は新築の高層アパートに引っ越すが、新しい生活のスタートであるはずのその日の晩も、アントニオは物思いに沈んでほとんど口を利かない。そんなアントニオを見てマーシャは「もう私を愛してないの?」と涙を浮かべる。
マーシャの許しを得、病気の母を見舞うとの口実で出国許可を得たアントニオは、約束していた毛皮をモスクワで買い求め、ミラノへ向かう。嵐で停電したアパートの暗闇の中、再会したアントニオとジョバンナだったが、感情がすれ違う。アントニオはもう一度2人でやり直そうと訴えるが、その時、隣の部屋から赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。赤ん坊を見て名前を訊く彼に、ジョバンナは赤ん坊の名はアントニオだと言う。ジョバンナもまた別の人生を歩んでいることを知ったアントニオは毛皮を渡し、ソ連に帰ることを決心する。
翌日のミラノ中央駅。モスクワ行きの汽車に乗るアントニオをジョバンナが見送りに来る。二度と会うことはないと2人はわかっている。アントニオは動き始めた汽車の窓辺に立ったままジョバンナを見詰める。遠ざかり消えてゆく彼の姿に、ジョバンナは抑えきれず涙を流し、ホームにひとり立ち尽くす。彼を乗せた汽車が去っていったこのホームは、以前戦場へ行く若き夫を見送った、その同じホームだった。wiki
公開時のエピソード
墓地の場面をめぐるソ連当局との攻防
『ひまわり』は、作品中の2人の婦人に敬意を表し、国際婦人デーに合わせて1970年3月8日にモスクワで封切られる予定だった。が、フィルム編集も完了した公開直前に、ソ連の担当部署が、イタリア兵墓地の場面をカットせよと要請して来た。カルロ・ポンティは「絶対に切れない」と回答し、ソ連側の返事を待たずにフィルムをイタリアに持ち帰り、3月13日にローマでノーカット版の封切を強行した。ソ連はその直前にも脚本共同執筆者のムディヴァニ(ロシア語版)をローマに派遣し、再度ポンティとデ・シーカの説得を試みたが、ポンティの考えは変わらなかった。「あの場面は非常に重要です。もしカットすれば、あの作品は作品ではなくなってしまいます。これは監督、脚本家、全製作陣の総意でもあります。それにもう2日かしかありません」公開は強行され、作品はイタリアでは絶賛されたが、モスフィルムのスタッフはそのことをイタリアの仕事仲間からの電報によってしか知り得なかった。
ソ連が墓地場面のカットにこだわったのは、作品を見たイタリア人の反応を怖れたからだった。ロシアのジャーナリスト、エフゲーニー・ジルノーフによれば、ソ連東部戦線のイタリア人捕虜の約4分の3にあたる約3万人が餓死または病死していたが、戦後のイタリアからの照会に対し、ソ連は彼ら戦闘によらない戦没者を「消息不明」「データが無い」と説明して来た。また証拠隠滅のために、イタリア人捕虜埋葬地は全て潰された。
このひたすら隠し通すソ連の態度は、かえって「本当はソ連のどこかで生きているのでは」とイタリア人の想像力を過剰に膨らます結果を呼ぶ。当時の作品公開前のイタリアでも、一部のネオ・ファシストが、まだソ連で生きている捕虜たちを帰還させよ、遺骨を返還せよという運動を起こしていた。その空気を知る駐イタリア・ソ連大使ルィジョーフは、公開目前の『ひまわり』のことを知り、「墓地の場面はカットすべき」と本国に進言して来たのである。
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